青織部広口壺
H29.5cm
1964年作
PHOTO / 高木 茂樹
DESIGN / 牧野 明美
H29.5cm
1964年作
PHOTO / 高木 茂樹
DESIGN / 牧野 明美
光玄開廊25周年記念
神の手
岡部 嶺男 名品展
神の手
岡部 嶺男 名品展
2022年7月2日(土)〜17日(日)
11:00 – 18:00 休廊日[火・水 休廊]
アートサロン光玄は、1997年
7/8にオープンいたしました。
おかげさまで、ここに開廊25周年を迎える事が出来ました。
これも偏に多くの皆々様の温かいご支援の賜物と
心から深く感謝申し上げます。
その記念として、幅広い陶技を薬籠中にされ、
“神の手”とも称賛された不世出の傑出した陶芸家
岡部嶺男先生による志野・織部・青瓷を主に
名品展を開催させていただきます。
ぜひ、看過されることなく、ご高覧を賜りますよう
ご案内申し上げます。
7/8にオープンいたしました。
おかげさまで、ここに開廊25周年を迎える事が出来ました。
これも偏に多くの皆々様の温かいご支援の賜物と
心から深く感謝申し上げます。
その記念として、幅広い陶技を薬籠中にされ、
“神の手”とも称賛された不世出の傑出した陶芸家
岡部嶺男先生による志野・織部・青瓷を主に
名品展を開催させていただきます。
ぜひ、看過されることなく、ご高覧を賜りますよう
ご案内申し上げます。
岡部 嶺男
青織部広口壺
H29.5cm
1964年作
岡部 嶺男
灰釉瓶子
H30.0cm
1961年作
profile
昭和2年(1927) 8歳
加納から加藤と改姓。
加納から加藤と改姓。
昭和7年(1932) 13歳
愛知県立瀬戸窯業学校入学。
愛知県立瀬戸窯業学校入学。
昭和9年(1934) 15歳
東春日井郡守山町小幡 (現、名古屋市守山区小幡) に転居。
東春日井郡守山町小幡 (現、名古屋市守山区小幡) に転居。
昭和12年(1937) 18歳
瀬戸窯業学校卒業。
瀬戸窯業学校卒業。
昭和13年(1938) 19歳
東京物理学校(現、東京理科大学) 入学。
学業のかたわら、頻回に帰省し作陶に励む。
東京物理学校(現、東京理科大学) 入学。
学業のかたわら、頻回に帰省し作陶に励む。
昭和15年(1940) 21歳
12月、東京物理学校を中退、入営。 内蒙古部隊に入る。
12月、東京物理学校を中退、入営。 内蒙古部隊に入る。
昭和19年(1944) 25歳
夏、フィリピンへ転闘。
夏、フィリピンへ転闘。
昭和20年(1945) 26歳
フィリピンにて米軍捕虜となる。
フィリピンにて米軍捕虜となる。
昭和22年(1947) 28歳
1月、復員。 愛知県西加茂郡猿投町平戸橋 (現、豊田市)に居を定める。
1月、復員。 愛知県西加茂郡猿投町平戸橋 (現、豊田市)に居を定める。
昭和24年(1949) 30歳
瀬戸の陶磁器貿易商・岡部家の四女辰子と結婚。
瀬戸の陶磁器貿易商・岡部家の四女辰子と結婚。
昭和25年(1950) 31歳
春、結婚式を行う。 夏、長男、辰男生まれる。 1週間後に死亡。 秋、日展に初出品。
春、結婚式を行う。 夏、長男、辰男生まれる。 1週間後に死亡。 秋、日展に初出品。
昭和27年(1952) 33歳
2月27日、長女、麻美生まれる。
2月27日、長女、麻美生まれる。
昭和28年(1953) 34歳
夏、小山冨士夫氏初めて来訪。11月2日、次女美喜生まれる。
夏、小山冨士夫氏初めて来訪。11月2日、次女美喜生まれる。
昭和29年(1954) 35歳
秋、日展北斗賞 (青織部縄文壺)、受賞。縄文の作風を完成する。
秋、日展北斗賞 (青織部縄文壺)、受賞。縄文の作風を完成する。
昭和30年(1955) 36歳
東京日本橋丸善画廊にて個展。第1回日本陶磁協会賞を受賞するが辞退。
東京日本橋丸善画廊にて個展。第1回日本陶磁協会賞を受賞するが辞退。
昭和31年(1957) 37歳
東京日本橋丸善画廊にて個展、縄文の大作12点を展示する。
東京日本橋丸善画廊にて個展、縄文の大作12点を展示する。
昭和32年(1958) 38歳
日本工芸会会員となる。
日本工芸会会員となる。
昭和35年(1960) 41歳
春、肺結核発病。 永仁の壷事件起こる。
春、肺結核発病。 永仁の壷事件起こる。
昭和38年(1963) 44歳
日本工芸会を脱会。この頃から青瓷の研究本格化する。 9月、 愛知県愛知郡日進町に転居。
日本工芸会を脱会。この頃から青瓷の研究本格化する。 9月、 愛知県愛知郡日進町に転居。
昭和40年(1965) 46歳
粉青瓷砧完成。 12月、紺綬褒章を受章。
粉青瓷砧完成。 12月、紺綬褒章を受章。
昭和42年(1967) 48歳
粉青瓷二重貫入完成。
粉青瓷二重貫入完成。
昭和44年(1969) 50歳
3月、新宮殿正殿梅の間に粉青瓷大砧一対を納める。
9月、小山冨士夫氏と同行して台湾故宮博物院を見る。
3月、新宮殿正殿梅の間に粉青瓷大砧一対を納める。
9月、小山冨士夫氏と同行して台湾故宮博物院を見る。
昭和45年(1970) 51歳
窯変米色瓷完成。
窯変米色瓷完成。
昭和46年(1971) 52歳
東京日本橋高島屋にて回顧展。
東京日本橋高島屋にて回顧展。
昭和53年(1978) 59歳
7月23日、 脳出血で入院。 加藤から岡部へ改姓。
7月23日、 脳出血で入院。 加藤から岡部へ改姓。
昭和56年(1981) 62歳
日本経済新聞主催で日本橋高島屋、松坂屋本店 (名古屋) にて回顧展。
日本経済新聞主催で日本橋高島屋、松坂屋本店 (名古屋) にて回顧展。
平成1年 (1989) 69歳
松坂屋本店にて再起新作展。
松坂屋本店にて再起新作展。
平成2年(1990)
9月4日、死去。 自宅にてベートーベン作曲、弦楽4重奏作品132による音楽葬。
9月4日、死去。 自宅にてベートーベン作曲、弦楽4重奏作品132による音楽葬。
*感染予防のためマスク着用・消毒にご協力お願い致します
光玄での 岡部 嶺男 の企画展